趣 旨

Purpose

 (故)森下元康先生は2010 年(平成22 年)5月23 日に逝去され、早いもので2022年(令和4年)には十三回忌を迎えます。2016年(平成28年)の七回忌には、『森下元康 メモリアル・オーケストラ』を編成しての献奏を中心とした《追善の集い》も開催され、今なおその人柄を懐かしむ声は絶えることがありません。

 森下先生はこの国のアマチュアオーケストラ活動史に、新たな地平を拓きました。それはアマチュアオーケストラを、趣味や自己顕示の場としての「余暇を楽しむ同好の集まり」を超克した、人格の陶冶、人間性の完成への秩序を求めた「社会的中間共同体」へと導いたことでした。明確な目的と理念を掲げた「活動」としての基軸を唱え続け、明文化した多くの活動論を書き記しましたが、それは決して従来の概念や価値観との優劣や正否を論じるものではなく、新たな活動形態への一試論でした。
 そうして書き遺された森下イズムのエッセンスを『森下元康のアマチュアオーケストラ活動論』と題し、ウェブ・サイトに連載する試みを2020年から始めましたが、森下先生と直接の知己を得ていない方からも多くの反響が寄せられ、“森下ファミリー”の緩やかな広がりが感じられました。
 そして今回の集いの趣旨は、この『森下元康のアマチュアオーケストラ活動論』の延長線上に位置しています。すでに森下先生の不在が十年以上の時を刻む中で、これらは現在も変わらず正鵠を得るものなのか、もはや時代錯誤の所産であるのか、あるいは現代流にアレンジをする必要があるのか、改めてその真贋を問い直す時期が訪れているように感じられます。

 「提言したい。果たして、新しい時代にふさわしいアマチュアオーケストラのアイデンティティ(自己同一性)はあるのか。不勉強で能力不足、そして日々の生活の滓の中に埋もれがちな我々アマチュアの音楽に、そもそもアイデンティティは存在し得るのだろうか。猛省して、自己解剖すべき時は今ではないかと思う。」

 「我々にとってアマチュアであることが、音楽的未熟さへの言い訳であったり免罪符であったりと、自身を毀つ場合が多いことを無視できない。お世辞や空疎な褒め言葉にくすぐられると、だらしのないくらい舞い上がってしまったりはしないだろうか。そうした甘えがせっかくの活動をどれほど低迷させてきたか。『ほどほどに、趣味程度に、無理をせず、仲よく、楽しく、何事も民主的に』運営してきた結果が現在の状況である。仲間から異端視されても、集団が単なる『仲よしクラブ』に終らないための戦いを挑みたい。そうした内面的な戦いを避けない活動集団こそ、アマチュアからシチズン(市民)へと昇華していく人たちなのであろう。才能の貧しき者も、ミューズの神の裳裾に触れようと祈りにも似た努力を重ねることが、この活動の正しき装いであるからだ。」

 「日本のアマチュアオーケストラの数は既に乱立状態としか言いようのない現在、さらに数だけ増えたところで文化水準が上がったなどとどうして言えようか。確かにアマチュアオーケストラ活動の最盛期に突入したことは認めるとしても、それは“広がった”のであって、“深まった”こととは程遠い情況なのではあるまいか。」

 森下イズムの置目はここに集約されています。  今、私たちの前にはどんな地平が広がっているのでしょうか。森下先生が40年前に記したこの提言に、私たちは確かな弁証を求められています。

 2010年(平成22年)1月、森下先生は生前最後のスピーチで、「日本のアマチュアオーケストラの演奏技術は非常に高くなってきましたが、私たちは次にどこへ行けばいいのでしょうか?」と、静かに語りかけました。

 「私たちはいよいよ非常に自省的な、内面的な事に取り組む時期が来たと思います。単に演奏するだけではなく、それが自分の身体や精神の中でどのように作用しているのかを常に確かめていく。自分たちで自省をして伸びようという向上心を持つ、“魂”を持つ存在でありたいものです。」

 ここには森下先生が最晩年に描いた“新たな地平”の眺望が抽象的に語られています。しかしその結実を果たすことなく道半ばで他界され、遺された私たちに大きな課題が託されました。

 森下先生が心から敬愛されていた音楽評論家の梅津時比古先生は、音楽家の本質についてこう記されています。

 「おそらく表現とは、魂の飢えを補おうとするものに違いない。本当の音楽家とは、プロ・アマを問わず、どれほど音楽をする時間に恵まれていようとも、この世に生きることによって生じる魂の飢えを、自らの内にもっている人なのであろう。」

 梅津先生と森下先生には、「魂の飢え」という通奏が共鳴しています。かつてこの国にオーケストラを創り、そして活動の根底を支えたこの「魂の飢え」という文化活動の源泉が、皮肉なことにいま最も枯渇しているのかもしれません。言い換えれば、記号化・情報化・道具化された文化活動では決して精神の渇きを癒すことはできないということになります。魂の深淵が求める「精神の故郷」を模索し、その中で自己を探究し続ける「アマチュアオーケストラ活動」であることが、森下先生の最後の祈りだったのではないでしょうか。

 「衣食足りている時代に、自分が掛け値なしに納得でき、利害得失を無視できる何かによって自己を解放しなければ、一体何のための“生”なのだろう。自己が精神的な増殖をしようとする衝動を、何かに紛らせて暮らしているのではないか。」

 七回忌の折には追善・献奏という趣旨で結成された『森下元康 メモリアル・オーケストラ』でしたが、今回はより具現的に〈森下元康〉という共通項をテクストとして、森下先生の精神と音楽との交響を目指し、“新たな地平”への歩みを進められることを趣旨に掲げ、この集いを開催するものであります。コロナ禍により一変した音楽活動の状況下において、かつてこの道を切り拓いた森下元康先生の名のもとに様々な人が参集し、活動の源泉、そして生きることの機軸を互いに再確認する機会として、そして次の世代、さらに次の世代へと伝え続ける橋渡しの場となることを、切に願っています。
 さあ、再び“森下ファミリー”の集いを始めましょう。

『ほんの小さな、ほんのささやかな、ほんとに未熟な音楽と人にも幸あれかし……』 森下元康



 (故)森下元康先生 十三回忌追善『森下元康 メモリアル・オーケストラ 2022』発起人
  下谷 剛嗣(豊橋交響楽団 音楽監督、JAO理事長、NPO-WFAO理事長)
  足木 準治(もと豊橋交響楽団 代表、もとJAO理事長)
  TYOC歴代講師有志
  森下 喜久子